校歌紹介その2。衝撃のボーイズビーアンビシャス。

こんにちは。
管理人のヒカルです。

夏の甲子園も終わり、なにか静けさが戻ってきました。
甲子園が終わると秋の到来を感じるのは私だけでしょうか。。

さて、以前ユニークな校歌を紹介しましたが、今回はその第二弾です。


今年の大会では日大山形高校が山形県勢として初のベスト8に進出しました。
準々決勝では惜しくも早稲田実業に敗れたものの、試合終盤まで優勝校を苦しめたのですから、その健闘ぶりは大したものです。
更に選手はほとんどが県内出身の選手とのこと。
単にくじ運ではなく、仙台育英、今治西などの強豪校を破ってのベスト8ですから、非常に価値があります。

さて、この日大山形高校ですが、その戦いぶりと共に校歌が話題になりました。
ちょっと特徴的な校歌です。

校歌はコチラをご覧下さい。











♪ボーイズ ビー アンビシャス♪

♪ボーイズ ビー アンビシャス♪

また、この校歌、ぜひ甲子園で歌ってほしいです。
エースの阿部君はまだ2年生なので、来年も期待大です。


さて、その他に印象に残っているのは、昨年の選抜大会で駒大苫小牧に土をつけ、見事準決勝に進出した神戸国際大付属高校です。
エースの大西君が素晴らしい投手だったと記憶しています。
ここの校歌も大西君の投球のように見事です。

校歌はコチラです。








♪セントマイケルズ・ハイスクール♪

♪セントマイケルズ・ハイスクール♪

あえて英語で校名を歌うところにこだわりを感じました。



さて、最後の紹介は滋賀県の近江兄弟社高校です。
「近江兄弟社」といえばメンソレータムでおなじみですね。
以前、甲子園にも出場があるのですが、残念ながら初戦敗退で校歌を歌うことはできませんでした。

その校歌はコチラです。












全文英語かいっ!


日本語訳はついていますが、元は全文英語です。
甲子園で勝利していたら英語の校歌が聞けたことでしょう。
全文英語とはCoolですね!

英語を混ぜる校歌の学校は、全体的にキリスト教関係の学校が多いようです。
近江兄弟社学園の場合は、創設者がアメリカ出身の方なので、英語の校歌になったのでしょうね。

以前、「ここがヘンだよ日本人」という番組で活躍していたベナン出身のゾマホンさんがベナンに「たけし小学校」を建設していましたが、そこの校歌は日本語なのだろうか、、とフと気になった管理人でした。。

では、また次回。

荒木大輔−甲子園に生んだアイドル。早実優勝で最近注目度アップ中。

夏の甲子園は、見事に早稲田実業の夏初制覇で幕を開けました。
クールなエース、斎藤佑樹君が一気に注目を集めましたね。
「ハンカチ王子」なんて名が付けられているそうですが(笑)
ちなみに斎藤君の青いハンカチが欲しいと、問い合わせが殺到しているようです。
残念ながら現在は生産終了している商品のようですが、逆にプレミアが付くなんてこともありえます。実際、関連銘柄の株価が上昇しているようです。
斎藤君人気と相まって、縁起物という意味合いもあるのかもしれませんね。

さて、今回はその時勢にのって、早実斉藤君の先輩、荒木大輔さんについて書きたいと思います。

荒木は早稲田実業入学後、はじめて挑んだ夏の県予選で、チームのエースが故障しいきなり出番が回ってきます。
見事甲子園出場を果たし、1年生エースとしてマウンドに登ります(背番号は11)が、その投球術と容姿から一躍甲子園のスターとなります。
初戦、大阪代表の北陽高校戦ではなんと1安打完封。その1安打も内野安打であり、外野フライが飛んだのはわずか1球だけという快投を演じます。
2回戦の京都代表の東宇治高校戦では最後にマウンドを降りますが、8回1/3を投げて無失点(試合結果は9−1)。
続く、札幌商業(南北海道)、興南(沖縄代表)、瀬田工業(滋賀)と

すべて無失点

で勝ち上がります。
そして迎えた決勝の相手は神奈川代表の横浜高校。
相手のエースは後にロッテ、中日で活躍する愛甲猛。
結局試合は序盤の失点が響き、早実は6−4で惜敗し、準優勝となります。

荒木はこの大会でファン、特に女性ファンの圧倒的な支持を獲得し、甲子園のスターの座を不動のものとします。この辺も斎藤君に似ていますね。
その後も、甲子園には5期連続出場。
1年時の準優勝という結果には届かなかったものの、甲子園では常に上位進出を果たしました。

高校卒業後のドラフトでは巨人とヤクルトが競合。
見事ヤクルトが当たりくじを引き、荒木獲得に成功しました。
ちなみにくじに敗れた巨人は、外れ1位指名で斎藤雅樹を獲得。
その後の両投手の成績から、

どちらが真の当たりくじを引いたかは容易に想像がつくでしょう。

プロでの通算成績は39勝49敗2セーブと、特に目立ったものではありません。
入団4、5年目時点では10勝以上をマークするなど、結果を残していたのですが、高校時代から投げていたその身体には疲労が蓄積していたのでしょう。
ひじ痛で発症し、登録を抹消。米国にまだ赴き手術を受けました。
しかし、その後も度重なる怪我で出場機会がないまま丸4年以上が過ぎていきます。

そして、ついに荒木復帰の日がやってきました。
1992年9月24日、見事カムバックを果たします。

この荒木の復帰で勢いにのったヤクルトスワローズは14年ぶりに優勝を果たします。
今後、ヤクルトの黄金時代が来たことは皆さんの記憶に新しいと思います。
翌年の日本シリーズでも荒木は好投し、チームの日本一にも貢献します。
この頃がプロ野球選手として一番輝いた時代でした。

その後は登板機会が減り、横浜ベイスターズに移籍。
横浜でも結果を残せず、1996年にユニフォームを脱ぎました。

高校時代に比べるとプロ野球時代の成績はパッとしませんが、見事なカムバックなど、ファンの記憶に残った選手でした。
西武ライオンズのエース、松坂大輔選手の名前も荒木にちなんで付けられたと言われています。それほど人気があった選手でした。

現在は西武のコーチを務めています。
最近は斎藤君の活躍と、早稲田実業の優勝で荒木氏のマスコミへの登場が増えましたね。
現在は佑ちゃんブームですが、十数年後には甲子園で活躍する「佑樹」という名の投手が出てくるかもしれませんね。

ヨーロッパからのちょっと笑えるメール−友達とは?親友とは?

こんにちは。
管理人のヒカルです。

いや〜、早稲田実業と駒大苫小牧の決勝戦は凄かったですね。
といっても

生放送見れませんでした(泣)

やはり、人気チーム同士の対戦、そして決勝再試合という話題性もあったのでしょう、インターネット生中継がアクセスが殺到したため接続できなくなり、結局見過ごしました。。
残念!

というわけでこの試合の感想は書けないのです。。
だれかYoutubeにでも試合をアップしてくださいマセ。。

上記理由により、今日の日記も野球とは全く関係のないネタです。
お許しを、、

私の現在住んでいる国でも携帯電話はかなり普及しています。
昨日、友人よりちょっと面白いメールが来たので紹介します。
一応、私が勝手に日本語に訳しているのでツマラナいかもしれませんが。。

以下、メールの内容。

友達とは?

友達とはパンツのようなもの。
いつもあなたと一緒です。


親友とは?

親友とはコンドームのようなもの。
あなたを守ってくれる存在です。


大親友とは?

大親友とはバイアグラのようなもの。
元気がない時にあなたを鼓舞します。

以上。

チェーンメール系の部類なのだと思いますが、ちょっと面白かったので紹介しました。

え?

微妙?

暑くて頭の回転が鈍くなっている管理人でした。


2006年夏の甲子園準々決勝−智弁和歌山VS帝京。死闘の果てには珍記録。

こんにちは。管理人のヒカルです。

夏の高校野球もいよいよ大詰めを迎えています。
すでに準々決勝ですね。

今年の大会の特徴は試合終盤のノーガードの打ち合い、そして大逆転劇です。

文星芸大附属(栃木)VS関西(岡山)
千葉経大附属(千葉)VS八重山商工(沖縄)
駒大苫小牧(南北海道)VS青森山田(青森)
日大山形(山形)VS今治西(愛媛)

などの試合がその典型的な例です。
その流れは準々決勝でも続きます。
まず第一試合では三連覇を狙う駒大苫小牧が4点差を逆転して準決勝一番のりを決めました。
しかし、第二試合の智弁和歌山と帝京の1戦はそれを上回る劇的な試合でした。

試合は8回を終えて智弁和歌山が8対4でリード。
9回表の帝京高校の攻撃に移ります。

ここで、帝京高校は先頭の大田君に代打の沼田君をおくります。
帝京はここまで3投手を継投させておりベンチに主戦級の投手は残っていないのですが、ピッチャーの大田君に代打という捨て身の反撃にでます。
これが功を奏します。
代打の沼田君はサードゴロに倒れたものの、その後打線が大爆発
5点を入れて逆転し、さらにこの回で2回目が回ってきた沼田君が3ランホームランを放ち、この回一挙8点を入れて12対8とリードを奪います。
ここまで黙ってみていた智弁和歌山の高嶋監督もエースの竹中君がつるべ打ちにあっているのを見守っていましたが、この時点で投手を松本君にスイッチ。
松本君は1球で打者を打ち取り長い9回の攻撃が終わりました。
そして試合はいよいよ9回の裏の智弁和歌山の攻撃に。。。
普通ならば、完全な帝京のペースですが、ここまで3投手を投げさせてきた帝京には投手を本職とする選手を残っていませんでした。
マウンドにはセンターを守っていた勝見君が上がります。

しかし、この大事な場面で地方大会でも登板がない勝見君、コントロールが定まらず2者連続四球の後、3ランホームランを打たれてしまいます。
これはいきなりの登板がこのような場面で、仕方ない気がします。
この後、帝京高校は急造投手を次々とマウンドに上げますが、最後は智弁和歌山打線の迫力におされ、押し出しサヨナラで智弁和歌山が勝利をおさめました。

この9回の表に帝京前田監督が投手に代打を送ったのは色々と議論があると思いますが、逆転することを考えれば至極当然の采配だと思います。
4点リードで迎えた9回表の時点では帝京高校は絶体絶命でした。

ドラクエで全滅寸前の時に、

あなたはパルプンテを唱えたことがあるでしょう?

帝京の前田監督もその気持ちだったと思います。

いや、むしろメガンテを唱えたのかもしれません。

この試合は評価がわかれると思います。
死闘と呼ぶのか、はたまた大味な凡戦と呼ぶのか。
そして前田監督のパルプンテ采配はいかがなものか。

私は「死闘」と言いたいと思います。
それは両チームともに気の抜けたプレーは少なくとも9回表裏の攻防ではなかったからです。
一生懸命やって、チーム力が許すかぎりギリギリまで戦った結果でしょう。
また、前田監督も逆転するための最善の采配だったように感じます。
両校には大きな拍手を送りたいと思います。

ちなみにこの試合にはオマケが付きます。

勝ち投手は9回表に竹中君をリリーフした松本君。1球で打者を料理しました。
負け投手は1点差、ノーアウト1塁の場面で登板し初球に死球を与え、逆転のランナーを出して降板した杉谷君。
そう、勝ち投手、負け投手ともに

1球しか投げていない

のです。
なかなか珍しい記録ではないでしょうか★

夏の甲子園、残り試合は少なくなってきましたが、これかも熱戦を期待します!

サッカー日本代表−オシム監督の言葉に迫る。通訳さんは大変です。

今日の日記は野球がテーマではなく、サッカー日本代表をテーマにしています。
皆さんご存知のとおり、サッカー日本代表チームドイツW杯では期待されたように結果が出ず、その後も川淵氏がポロっと(または、わざと)オシム氏の名前を漏らしたりとドタバタ続きでしたね。

そんな日本代表も監督にオシム氏が正式に就任し、初戦のトリニダード・トバコ戦を見事勝利でかざりました。
現在は、次のイエメン戦に向け代表チームは合宿に入っています。

さて、まぁサッカーの分析は専門家の方がいますし、詳しいサポーターの方もいるのでその方達に任せるとして今回は「オシムの言葉」について書きます。

オシム氏には現在、通訳が3人付いています(ある記事には4人とありましたが・・)。
報道によるとオシムの練習は非常に斬新で複雑なようです。
また、オシムの言いまわしが独特なために通訳の方が苦労されているらしい。

私も海外生活のおかげで旧ユーゴ地域の言葉を話すのですが、オシムがどんな言葉を使っているか、わかる範囲で調べてみました。

その結果、、

あれは通訳さん大変です(断定)

理由1)
え〜と、まずですね、通訳の方は3人ともセルビア語の通訳と聞いています。
しかし、オシムの話しているのはバリバリのボスニア語です。
まぁ、大まかに言うと文法的な違いなどはないのですが、若干使用する単語が違ったりイントネーションが違ったりするのです。
先ほど、「ボスニア語」と書きましたが、厳密にはボスニア方言と言ったほうがしっくりくるかもしれません。
普通にリラックスした会話をするならば、全く問題ないレベルですが記者会見等の場で正確な通訳が求められる場合には、慣れないうちは大変かと思います。

理由2)
ボソボソ話す。
そう、オシム監督の言葉はけっして聞き取りやすいものではありません。
もう少し大きい声ではっきりと話してくれると良いのですが。。。
名古屋グランパスで昔プレーをしていたピクシーことドラガン・ストイコヴィッチ氏の話の方がよっぽど聞き取りやすいです。
これも慣れるしかないですね。。

理由3)
目的語部分を省いて話す。
これは実際にあった事例を交えて話しましょう。
記者会見が進行し、司会の人間が「これで、オシム監督の記者会見を終了します」とアナウンスしました。
そこでオシム氏が話し足りなかったのかこの一言、

「Oni završavaju」

↑は英語にすると「They are finishing」。

は?彼らが何を終わらせようとしているのか?
そもそも彼らとは誰なのか?

通訳が一瞬戸惑って聞き返すと「ワシに聞かないで、彼らが終わらしたい時に(記者会見)が終わるんだな」とオシムは説明を付け加えました。
そこでようやく通訳が言いたいことを理解し、「司会者が勝手に終わらせてしまいました」と通訳。
記者席は大爆笑でした。
まぁ、実際に直訳するとオシム氏は司会者ではなく、サッカー協会と言ったのですが、通訳さんの機転で「司会者」と言ったのでしょう。

とまぁ、このようにオシム氏の言葉は通訳泣かせの部分が多々あるわけです。
しかし、だからこそ多くの名言が生まれてくるとも言えるかもしれませんね。

報道によるとトリニダード・トバコ戦を振り返ってオシム氏は

90分間プレーできない者がいた

別の記事では

90分間走れなかった者がいた

と若干ニュアンスが変わっています。その記者会見は私は聞いていないので実際に何と言っていたのかはわかりませんが。

ところでオシム氏は試合終了間際にトイレに立ち、試合終了まで見届けることはありませんでした。
オシム氏が

90分間監督できなかった

というのは誰もツッこみませんでした。

でも、それはまた別の話(森本レオ風)。

八重樫幸雄−メガネ捕手初代は古田ではなく俺だ!威圧感抜群のオープンスタンス。

こんにちは。
甲子園、熱戦が続いていますね。今日は、週末ということで早起きしてライブ中継を見れたのですが、高知商業と鹿児島工業の試合はまさに高校野球!という試合でした。
両チームとも再三チャンスをつくるものの最後にはピッチャーがふんばります。
鹿児島工業の代打で出た今吉君も怪我をのりこえての執念がつたわってきました。
次の試合もぜひ頑張ってほしいです。
東北勢ひいきの私ですが、この試合は個人的にかなり熱い試合だったと思っています。
もちろん、注目の早稲田実業と大阪桐蔭の試合も見ました。
予想外の大差がついてしまいましたね。
エースの斎藤君の調子しだいでは早実もかなり上位をうかがえそうですね。
というか、すでに優勝候補か?!

強豪が次々と姿を消すなか、沖縄県代表の八重山商工が初戦、苦しい試合を勝ち抜きましたね。
この勝利は八重山商工の勢いをつけるのでは、と感じます。

はい、というわけで今日は八重樫幸雄さんです。
八重山→八重樫と強引ですが、そこはツッコミなしということで。。

高校時代から強打者として名をはせていた八重樫。
打撃練習中にはオーバーフェンスしてガラスが割れないように、学校側が窓に設置するほどでした。
仙台出身の八重樫は仙台商業を経て、ドラフト一位でヤクルトアトムス(現:東京ヤクルトスワローズ)に入団します。
同時期には横浜ベイスターズの監督も勤めた大矢明彦が入団しており、八重樫は大矢に正捕手の座を奪われてしまいます。
当時には、八重樫の視力が低下する影響もあり、しばらくは控え捕手という立場でした。

しかし、八重樫の打力を高く評価していた当時の三原脩監督は、なんとあの体型の八重樫に

無謀なショート転向を指示

します。
晩年の八重樫のイメージがある私としては、あの足の遅さでは、守備で最も俊敏な身のこなしが要求されるショートをやらせるのは無謀だと思うのですが。。
しかし、それほどまでに試合に出させたかったということは打力はかなりのものだったのでしょう。
結局、ショートへのコンバートは断念となります。
なかなか、レギュラーを取れない八重樫は焦りがあったのでしょうか、もしくは視力低下が響いたのでしょうか、打撃でも調子を落としてしまいます。

諦めない八重樫は、当時の中西太打撃コーチ(当時)と共にバッティングフォームの改革を断行します。
2人で研究をかさね、ついに伝説のオープンスタンスが完成したのです。
メガネをかけていた八重樫は、普通にバッターボックスに立つと、メガネの縁が邪魔をして視界がさえぎられるため、あのオープンスタンスとなったそうです。

いまでもSMAPの中居君がよくものまねをしているので、現代っ子にもおなじみですね。
現中日監督の落合博満氏は

オープンスタンスの基礎を築いたのは八重樫さん

と評価しています。
そういえば、少し前の甲子園で沖縄の那覇高校(だったと思う)の代打が八重樫そっくりのバッティングフォームをしていました。
あの時は甲子園がどよめいたのを覚えています。

念願の正捕手の座は、大矢が引退した後に確保。
1984年にはプロ入りして初めてオールスターに出場、1985年には3割の打率を残し、ベストナインに選出されます。
晩年の野村克也監督(現:楽天監督)時代には杉浦亨と共に代打の切り札として活躍しました。
1993年には現役を引退しますが、引退の席では中西氏と野村氏に対する感謝の気持ちを涙ながらに語りました。

なお、捕手としての実働23年は野村克也氏に次ぐ歴代2位の記録となっています。
ショートにコンバートしなくて本当によかったですね。

引退後はヤクルトの各コーチポジションを担い、現在は1軍打撃コーチを務めています。
仙台出身であり、師と仰ぐ野村氏が指揮をする楽天への異動は、、、

ないかぁ。。。

高校野球−伝説の校歌を楽しむ。インターネット生中継もぜひ校歌まで映して!

こんにちは。
甲子園もついに2回戦に突入ですね。
始まるまでは待ち遠しいのですが、いざ開幕すると日程がすごい速さで消化されていきます。その中には数々のドラマがあるのですが。。

さて、仕事が忙しくてなかなか更新できないのですが、今日もある意味手抜きの日記です。

私が甲子園大会をインターネット生中継で観戦していることは前回の日記で書きました。
非常にありがたいのですが、一つだけ不満が。。
試合が終わると、すぐに生中継が終了してしまい、校歌の演奏、監督への試合後インタビューが見れないのです。
これは高校野球ファンとしてはかなり残念です!
校歌は各校特徴がありますし(まぁ、2回の攻撃前に流れるんですがね、、)、インタビューは監督さんがどのように試合を評しているのか大変興味深いものです。
最近では、「やればできるは魔法の合言葉」の済美高校の校歌が印象的でした。

というわけで、今日は校歌についてです。
かれこれ10年程前の1995年、春の選抜高校野球。
東北地区からの代表として福島県の清陵情報高校という高校が出場しました。
結果は岡山県の関西高校に10対2と残念ながら初戦敗退してしまいます。
しかし、この清陵情報高校の校歌が非常に特徴的というか、、、

とにかくすごいんです。

是非勝利して校歌を大観衆と全国のテレビ中継の前で歌ってほしかったのですが、、その願いは叶いませんでした。
もうこれは言葉で説明するよりも、実際に見てください!
著作権の関係もあると思うので、ここでは歌詞を掲載しませんが、
Yahoo等の検索エンジンで「清陵情報高校」と検索すれば学校のホームページがすぐに見つかります。
「学校紹介」の項目に校歌も紹介しているのでぜひ見てください。
ちなみに校歌名は「宇宙の奥の宇宙まで」、作詞は宗左近氏です。



。。

。。。

読みました?


すごいことになっています。


発信!


ゆんゆん


さて、今日は本当に手抜きの日記なので、これ以上の説明は要らないかと思います。
こんな歌詞を更に楽しみたい方は下のリンクでどうぞ。
私より全然面白い分析をかけている方がいますので。。

更に楽しみたい方はココをクリック!

ではまた明日〜。

高校野球−甲子園の楽しみ方その2。ねぶた囃子(ねぶたばやし)が聞こえない。

こんにちは。
いよいよ夏の甲子園、開幕しましたね。
開幕試合では打ち合いの末に、高知県代表の高知商業が北北海道代表白樺学園を下して2回戦進出を決めました。
最近は便利なもので、海外にいてもインターネットのライブ中継で高校野球を楽しむことができます。
まぁ、時差の関係があるので、朝3時に起きて仕事前に第1試合を観戦する、なんて努力が必要なわけですが(泣)
やはり週末に早起きしてみるしか無さそうです。

高校野球は球児達の白熱した試合はもちろんのこと、応援を見るのも楽しいですよね。
全国各地から代表校が集うわけですから、地域色を出したユニークな応援も見ものです。
そして、強豪校、伝統校には代々引き継がれている伝統の応援歌があり歴史を感じさせます。
昨日は早稲田実業の応援歌「紺碧の空」が何度も合唱され、伝統が感じられました。

つい先日、現福岡ソフトバンクホークスの杉内選手が高校時代に甲子園でノーヒットノーランを達成した試合を見ました。
当時は横浜高校の松坂投手に甲子園が沸いていました。
杉内投手率いる鹿児島実業は青森県代表の八戸工大一高と対戦。
見事、ノーヒットノーラン(与四球が1つのため完全試合にはならなかった)を達成しました。
その投球はもちろん凄かった(カーブの切れが凄いですね)のですが、八工大一高の応援も印象に残りました。
普通の応援なのですが、応援歌の合間に良いタイミングで笛(サッカーの審判が持つホイッスルのような笛)が入り、かなりリズミカルに聞こえます。
まるで、サンバのリズムのよう。
しかし、あまりにリズムが良すぎたのか、八戸工大一高打線は、

サンバのリズムにノッて三振の山

をきずくという結果になってしまいました。

さて、八戸工大一高の応援は、それはそれで特徴的で楽しみものだったのですが、「何かが足りないなぁ」と感じました。

そう、ねぶた囃子です。

私の子供時代は、青森県代表といえばほぼ確実に「ねぶた囃子」が応援歌として歌われていた記憶があるのですが、ここ数年、私の見た限りでは青森代表校のアルプススタンドからねぶた囃子が聞こえてきた記憶はありません(間違ってたらごめんなさい)。
昔は青森山田高校の応援でもねぶた囃子が使われていたと思うのですが、、、
最近は聞きません。。

なぜだろう?

今年、青森県代表として出場する青森山田は、「青森山田学園」としてほぼ毎年青森ねぶた祭に参加しています。
なんと今年は青森山田学園が、ねぶた大賞を受賞、運行・跳人賞も受賞しました。

青森山田はねぶたも強いんです。

優秀な跳人さんもいるようですし、今年の甲子園ではぜひアルプス席から、ねぶた囃子と「ラッセラー」の掛け声が聞こえてくることを期待している管理人です。
沖縄の指笛のように、「青森県代表といえばこの応援!」と言われるぐらいになってほしいと思っています。
厳密にいうと青森県には青森ねぶたの他にも、「弘前ねぷた」や五所川原の「立ちねぷた」というお祭りがあります。
各地域の学校がそれに沿った応援をしてもらえると、遠くに住む青森県出身の管理人としては感動してしまう、という自己満足なのですが。。。
でも、やっぱり甲子園でねぶた囃子が聞きたい!と思うのは私だけでしょうか?
今年の夏は聞けるかな?

余談ですが、当時の八戸工大一高アルプスでは得点が入ると「ねぶた踊り」をする予定だったらしいのですが、杉内投手にノーヒットノーランされたため出番がなかったそうです。。。
残念!

定岡正二−甲子園のアイドルからヘナチョコ伝説。

今回はサダ(貞子じゃないよ)こと定岡正二さんです。

高校野球夏の選手権第56回大会(1974年)。
鹿児島県の名門、鹿児島実業のエースとして甲子園に現れた定岡正二は、この大会で県勢初となる準決勝進出を果たします。
その時の甲子園には現読売ジャイアンツ監督の原辰則氏も神奈川県代表、東海大相模の主軸として出場しており、準々決勝で両校は対戦します。
延長15回の熱戦の末、鹿児島県勢が神奈川代表校に春夏合わせて初めて土をつけます
結局チームは準決勝でサヨナラ負けを喫しますが、準決勝での負傷交代、端整な顔立ち、そして県勢初のベスト4進出ということで一躍甲子園のアイドルとなりました。
ちなみにこの大会には定岡正二、原辰則の他、優勝した銚子商業には篠塚がおり、まさに将来の巨人を背負う選手たちが活躍していた大会でもあります。

さて、高校卒業と同時にドラフト1位で巨人に入団した定岡ですが、その人気は衰えるところを知らず、自主トレが行われた多摩川グラウンドには定岡を一目見ようと、約2万人のファンが訪れました。
定岡の人気がどれほど高かったかを裏付けるエピソードです。
プロ入り当初はなかなか活躍できませんでしたが、入団5年目に念願の1軍初勝利を挙げます。するとその後は先発の一員として2桁勝利をあげる活躍します。
しかし、好調もつかの間、不振に陥った定岡は1985年にはトレードで近鉄行きを命じられ、それを不服とし突然の引退表明。
現役生活わずか10年でプロ野球界を去ります。

その後はその人気をもとに芸能界入りしますが、なんといっても定岡のタレントとしての価値を高めたのは「とんねるずの生でダラダラいかせて(通称:生ダラ)」だと思います。
いつの間にか番組に出演し、準レギュラーの座を獲得していました。
主に石橋貴明さんとの絡みが多かったのですが、勝負に負けて

甲子園の大ヒーローが土下座

をしていたのは切ない気持ちでした。
石橋との勝負に負けて、

緑色のダサジャージを着て付き人

なんてものもありました。

ヘナチョコサダの真骨頂です。

また、帝京高校野球部(今年も甲子園に出場しています)だった石橋貴明との野球対決での勝利後、ご褒美として独占講演会を開きましたが、話が長すぎたため

ほとんどオンエアされずにカット

されました。「話が長いので省略」というテロップが出ることもしばしば。
いやぁ、笑わせてもらいました。
そのヘナチョコサダの必殺技は

ナイアガラドロップキック

PK戦対決ではナイアガラドロップキックでシュートするも、キーパー真正面にコロコロボール。。。。

ヘナチョコすぎです。

坂東英二と共に今では元プロ野球選手とは誰も思わない人の代表格ではないでしょうか。

野球としてはエリート一家で兄、弟ともに元プロ野球選手です。
甥は現在福岡ソフトバンクホークスで奮闘中の定岡卓摩。
ヘナチョコサダを超える活躍を期待しています!

ちなみに現役引退時には

芸能界には入らない

と豪語していた定岡でしたが、いまやドップリ芸能界に浸かってしまいましたね。。


衣笠祥雄−初代鉄人。赤ヘルが似合う世界のキヌガサ。国民栄誉賞持ってます★

今回は鉄人こと衣笠祥雄(サチオと読みます)さんです。

衣笠は連続試合出場の世界記録を更新したことで、日本だけではなく世界的に有名となりました(世界と言っても米国ですが。。)。
愛称の「鉄人」もこの頑丈さを物語っています。
現在の鉄人と言えば阪神の金本知憲選手ですが、衣笠氏がその前の元祖です。
「鉄人」という愛称は、衣笠が当初に付けていた背番号28と漫画「鉄人28号」をかけて誕生しました。その愛称は連続試合出場をこの成し遂げた頑丈な身体によって証明されたのでした。

さて、高校時代は京都の名門平安高校でならした衣笠はドラフトで広島カープから指名を受けて入団します。高校時代には2度ほど甲子園の地を踏んでいます。
広島入団時には契約金は当時としては破格の金額だったのですが、契約金でフォードを購入、シーズン前のキャンプではほとんど契約金は残っていなかったそうです。
せっかく購入したフォードですが、その後何度か事故を起こし、最終的には

免許失効(泣)

してしまいます。
さて、強打者として成長した衣笠はキャッチャーからファースト、サードと守備位置を変えつつもクリーンナップの座を不動なものとします。
クリーンナップでは山本浩二と共に強打の広島を支えますが、盗塁王を獲得するなどオールラウンドプレーヤーだったことがわかります。
連続試合出場の記録は1970年の秋にスタートし、17年かけてルー・ゲーリックの持つ世界記録を更新します。
衣笠はこの後も記録を更新し続け、1987年の現役引退までに連続試合出場記録は2215試合となりました。
記録はその約10年後、大リーグの名選手、カル・リプケンJrに更新されますが、その時にも来賓としてアメリカに呼ばれました。

連続試合出場記録も順風満帆に行ったかに見えますが、衣笠は通算死球数史上2位(当時。その後、清原和博に抜かれ現在は史上3位)というほど死球を受けます。
強打者ゆえに内角攻めが厳しかったのでしょうか。
しかし、そこは鉄人。1979年のジャイアンツ戦では西本聖から死球を受け、肩甲骨を骨折するほどの重傷をしますが、次の日の試合も代打で出場したというからさすがです。

個人的には、イメージですが、12球団中最も怪我人が多いカープにおいてこの記録を達成したのは奇跡的だと思います。
カープといえば一時期は

呪われているかのような怪我人の数(呪怨)

を球界に誇っていましたから。。。
カープに所属していてこの記録は数字以上に評価されるべきだと思います。
今は「寝違えた」だけで欠場する選手もいますし。。。
よく寝違えたというスポーツ選手をよく聞きますが、

人間はそんな頻繁に寝違えるものなのか?

と思ってしまうのは私だけでしょうか?
サボリか?とも思ってしまったりして、、、

さて、衣笠に話を戻しましょう。
1987年に現役引退した衣笠ですが、プロ野球界では王貞治に続いて史上2人目の国民栄誉賞を受賞。その後は野球殿堂入りも果たしました。

ちなみに衣笠氏の風貌はちょっと特徴的でしたが、アフリカ系アメリカ人と日本人の混血のようですね。ちょっと納得してしまいました。
現在は野球解説者、タレントとして活躍しています。
モルツ球団でもプレーしていた気がします。
世界の鉄人衣笠は、これからも鉄人ぶりを各分野で発揮してくれるはずです★

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