水野雄仁−徳島池田高校が生んだ高校野球界のスター「阿波の金太郎」【プロ野球★伝説のチーム−選手名鑑Blog】

今日は水野雄仁さんです。

水野と言えば、徳島の池田高校時代から「阿波の金太郎」の異名を持ち、甲子園のスーパースターでした。
「攻めダルマ」の異名を持つ蔦監督率いる当時の池田高校は、その打撃力で知られ、「やまびこ打線」として他校を恐怖に陥れていました。
ちなみに蔦監督に関する書籍はコチラです。

水野は池田高校時代には1982年夏の選手権、1983年春の選抜大会で史上4校目の「夏・春制覇」を筆頭に輝かしい成績を残しています。
その打撃が注目された池田高校でしたが、清原・桑田を擁するPL学園との死闘、早稲田実業の荒木大輔との投げあいなど名勝負(どちらの試合も大差がついたが)を数々演じています。
今思うと、この頃の池田高校はまさに絶頂期。
最近は低迷が続いていますが、久々に甲子園で池田高校のユニフォームを見たいと思うのは私だけではないと思います。
今年の徳島大会でも、7月24日現在、池田高校は準々決勝に駒をすすめています。

プロ入り後は先発を経験した後、王・長嶋政権では中継ぎ・抑えと大車輪の働きでした。
池田高校卒の流れでしょうか、バッティングの評価も高く野手としてもやっていけたのではないかな、と個人的には思っています。

1990年には中日の鹿島忠投手がクロマティにデッドボールを与え、乱闘が起きた際に、乱闘を止めに入った水野ですが、

関係ないのに星野監督に殴られる

という不運なエピソードもあります。

巨人を1996年に退団した水野ですが、その後、メジャーリーグを目指しドミニカのウィンターリーグに参加、日本人初の勝利投手となっています。
その後、1999年にはコーチとして巨人に復帰、年上の槙原などには「水野コーチ」とからかわれていました。

現在は、野球解説者として精力的に活動されています。

あ〜、今夏は池田高校を甲子園で見たいですね〜(しつこい?)。

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