鈴木孝政−ドラゴンズの初代抑え投手?!長嶋親子と公式戦で対戦した唯一の投手。【プロ野球★伝説のチーム−選手名鑑Blog】

今回は元中日ドラゴンズの鈴木孝政さんです。


苗字に特徴がないので管理人としては若干印象が薄いのですが(失礼)、その成績、功績を見るとすごい投手だったのがわかります。

高校時代の鈴木は千葉の成東高校で野球に励みます。
甲子園の出場こそ叶わなかったものの、関東高校野球界ではかなり名が知られた投手だったようです。
当初、鈴木は大学進学を希望していましたが、やはり評価がかなり高かったのでしょう。中日が猛アタックをかけ、ドラフト1位で指名。
鈴木もその熱意に負け、入団を決意します。

入団2年目の1974年には、すでに登板回数が30試合を越える活躍を見せます。
主な役割はロングリリーフを含む救援投手でした。
1975年には21セーブ、1976年には当時のシーズン最多セーブ記録(26セーブ)を打ちたて、最優秀防御率と最優秀救援投手のタイトルを獲得します。
1977年には9つのセーブながら、前年に続き、最優秀救援投手に輝きます。
セーブ数が9つのタイトル獲得ですから、当時はいかに「クローザー」という役割が確立されていなかったかがわかります。

江夏豊が抑え投手のパイオニアと言われますが、江夏がリリーフに転向したのは1977年であり、鈴木が抑え投手の先駆者と言えるかもしれません。

順調に活躍を重ねていた鈴木ですが、肘の故障で戦列を離れることになってしまいます。
その肘の故障で、以前の速球は失われてしまいます。
そのため、鈴木は投球スタイルを変更し、緩急と丁寧にコースをつく「打たせて取る投球」で復活します。
1982年にはリリーフ投手から先発へと転向。
先発した初めての試合では、いきなり完封勝利をあげました。
その後も先発として、1984年には16勝8敗の成績で「カムバック賞」を受賞しました。

打撃においては

センターゴロを記録(阪神戦)

したことがある珍しい選手です。

1989年に現役を引退しますが、その後は中日のコーチ、野球評論家として活動。
なお、鈴木は中日の投手として球団史上最多の586試合出場という記録を持っています。
実働17年という長い期間にわたり活躍したからこそ生まれた記録。
長嶋茂雄一茂の親子と公式戦で対戦したのは、この鈴木しかいません。
こんな所にも長く第一線で活躍した跡が見て取れますね。

昨日は若干ふざけすぎたので、今日は真面目に書いてみました★
取り上げる人物によっても、だいぶ違ってくるのですが。。

この記事へのコメント
こんばんは。
掲示板への書き込みありがとうございました。
自分もこちらへは始めての投稿です。

鈴木孝政投手。
よく覚えてますよ!(年が・・・)

投球フォームは投げ終わった後、突っ立つような感じの特徴のある投げ方でした。テレビでしか見てませんが球は速かったですよ。(キレも良かったです)

また懐かしい名前があったら書き込みますので、これからも宜しくお願いします。

Posted by 球道 at 2006年07月28日 23:17
球道さん、

コメント有難うございます!
いつも掲示板を楽しく見させてもらっているので、そこの管理人さんにコメントして頂くと大変嬉しいです。

また掲示版にも遊びに行きます★
Posted by ヒカル at 2006年07月29日 00:19
http://www.tvcommunications.net/?c=93 テレビ電話 出会い
Posted by テレビ電話 出会い at 2010年08月05日 03:51
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