定岡正二−甲子園のアイドルからヘナチョコ伝説。

今回はサダ(貞子じゃないよ)こと定岡正二さんです。

高校野球夏の選手権第56回大会(1974年)。
鹿児島県の名門、鹿児島実業のエースとして甲子園に現れた定岡正二は、この大会で県勢初となる準決勝進出を果たします。
その時の甲子園には現読売ジャイアンツ監督の原辰則氏も神奈川県代表、東海大相模の主軸として出場しており、準々決勝で両校は対戦します。
延長15回の熱戦の末、鹿児島県勢が神奈川代表校に春夏合わせて初めて土をつけます
結局チームは準決勝でサヨナラ負けを喫しますが、準決勝での負傷交代、端整な顔立ち、そして県勢初のベスト4進出ということで一躍甲子園のアイドルとなりました。
ちなみにこの大会には定岡正二、原辰則の他、優勝した銚子商業には篠塚がおり、まさに将来の巨人を背負う選手たちが活躍していた大会でもあります。

さて、高校卒業と同時にドラフト1位で巨人に入団した定岡ですが、その人気は衰えるところを知らず、自主トレが行われた多摩川グラウンドには定岡を一目見ようと、約2万人のファンが訪れました。
定岡の人気がどれほど高かったかを裏付けるエピソードです。
プロ入り当初はなかなか活躍できませんでしたが、入団5年目に念願の1軍初勝利を挙げます。するとその後は先発の一員として2桁勝利をあげる活躍します。
しかし、好調もつかの間、不振に陥った定岡は1985年にはトレードで近鉄行きを命じられ、それを不服とし突然の引退表明。
現役生活わずか10年でプロ野球界を去ります。

その後はその人気をもとに芸能界入りしますが、なんといっても定岡のタレントとしての価値を高めたのは「とんねるずの生でダラダラいかせて(通称:生ダラ)」だと思います。
いつの間にか番組に出演し、準レギュラーの座を獲得していました。
主に石橋貴明さんとの絡みが多かったのですが、勝負に負けて

甲子園の大ヒーローが土下座

をしていたのは切ない気持ちでした。
石橋との勝負に負けて、

緑色のダサジャージを着て付き人

なんてものもありました。

ヘナチョコサダの真骨頂です。

また、帝京高校野球部(今年も甲子園に出場しています)だった石橋貴明との野球対決での勝利後、ご褒美として独占講演会を開きましたが、話が長すぎたため

ほとんどオンエアされずにカット

されました。「話が長いので省略」というテロップが出ることもしばしば。
いやぁ、笑わせてもらいました。
そのヘナチョコサダの必殺技は

ナイアガラドロップキック

PK戦対決ではナイアガラドロップキックでシュートするも、キーパー真正面にコロコロボール。。。。

ヘナチョコすぎです。

坂東英二と共に今では元プロ野球選手とは誰も思わない人の代表格ではないでしょうか。

野球としてはエリート一家で兄、弟ともに元プロ野球選手です。
甥は現在福岡ソフトバンクホークスで奮闘中の定岡卓摩。
ヘナチョコサダを超える活躍を期待しています!

ちなみに現役引退時には

芸能界には入らない

と豪語していた定岡でしたが、いまやドップリ芸能界に浸かってしまいましたね。。


水野雄仁−徳島池田高校が生んだ高校野球界のスター「阿波の金太郎」【プロ野球★伝説のチーム−選手名鑑Blog】

今日は水野雄仁さんです。

水野と言えば、徳島の池田高校時代から「阿波の金太郎」の異名を持ち、甲子園のスーパースターでした。
「攻めダルマ」の異名を持つ蔦監督率いる当時の池田高校は、その打撃力で知られ、「やまびこ打線」として他校を恐怖に陥れていました。
ちなみに蔦監督に関する書籍はコチラです。

水野は池田高校時代には1982年夏の選手権、1983年春の選抜大会で史上4校目の「夏・春制覇」を筆頭に輝かしい成績を残しています。
その打撃が注目された池田高校でしたが、清原・桑田を擁するPL学園との死闘、早稲田実業の荒木大輔との投げあいなど名勝負(どちらの試合も大差がついたが)を数々演じています。
今思うと、この頃の池田高校はまさに絶頂期。
最近は低迷が続いていますが、久々に甲子園で池田高校のユニフォームを見たいと思うのは私だけではないと思います。
今年の徳島大会でも、7月24日現在、池田高校は準々決勝に駒をすすめています。

プロ入り後は先発を経験した後、王・長嶋政権では中継ぎ・抑えと大車輪の働きでした。
池田高校卒の流れでしょうか、バッティングの評価も高く野手としてもやっていけたのではないかな、と個人的には思っています。

1990年には中日の鹿島忠投手がクロマティにデッドボールを与え、乱闘が起きた際に、乱闘を止めに入った水野ですが、

関係ないのに星野監督に殴られる

という不運なエピソードもあります。

巨人を1996年に退団した水野ですが、その後、メジャーリーグを目指しドミニカのウィンターリーグに参加、日本人初の勝利投手となっています。
その後、1999年にはコーチとして巨人に復帰、年上の槙原などには「水野コーチ」とからかわれていました。

現在は、野球解説者として精力的に活動されています。

あ〜、今夏は池田高校を甲子園で見たいですね〜(しつこい?)。

松本匡史−巨人軍の青い稲妻+メガネ【プロ野球★伝説のチーム−選手名鑑Blog】

打者第一弾です。

今回は元巨人の松本匡史選手。
いや〜、この選手には愛着あります。
私の少年野球時代は彼の「青い稲妻」が私のテーマ曲でしたから。
あ、ちなみに足は遅かったです。
2番打者だっただけの理由で歌われていました(笑)

私が子供の頃は松本選手は巨人の不動の2番打者でした。

東京六大学リーグの盗塁記録を塗り替えたり、スイッチヒッターに転向となかなか派手な2番打者です。
なんといっても、あのメガネがチャーミング★
眼鏡をかけるプロ野球選手に親しみを感じるのは私だけでしょうか?
古田にしかり、土橋にしかりです。
「青い稲妻」のニックネームは、その俊足、そしていつも青い手袋をしていたことから名づけられました。
1983年に記録した年間76盗塁(!)って、凄すぎです。
現在でもリーグ記録です。
これからこんなに走れる選手は出てくるのだろうか。。。

今は東北楽天ゴールデンイーグルズのヘッドコーチ。
楽天は走れる球団になるのか、注目です。

松本のジャイアンツ入団の経緯には長嶋監督(当時)の意向が強く働いていたみたいです。
やはり長嶋さんのパワーは只者ではない。。。

ちなみに下の本は、守備、走塁のみに特化した珍しい野球本です。
著者はもちろん、松本(緒方耕一との共著)です。

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