荒木大輔−甲子園に生んだアイドル。早実優勝で最近注目度アップ中。

夏の甲子園は、見事に早稲田実業の夏初制覇で幕を開けました。
クールなエース、斎藤佑樹君が一気に注目を集めましたね。
「ハンカチ王子」なんて名が付けられているそうですが(笑)
ちなみに斎藤君の青いハンカチが欲しいと、問い合わせが殺到しているようです。
残念ながら現在は生産終了している商品のようですが、逆にプレミアが付くなんてこともありえます。実際、関連銘柄の株価が上昇しているようです。
斎藤君人気と相まって、縁起物という意味合いもあるのかもしれませんね。

さて、今回はその時勢にのって、早実斉藤君の先輩、荒木大輔さんについて書きたいと思います。

荒木は早稲田実業入学後、はじめて挑んだ夏の県予選で、チームのエースが故障しいきなり出番が回ってきます。
見事甲子園出場を果たし、1年生エースとしてマウンドに登ります(背番号は11)が、その投球術と容姿から一躍甲子園のスターとなります。
初戦、大阪代表の北陽高校戦ではなんと1安打完封。その1安打も内野安打であり、外野フライが飛んだのはわずか1球だけという快投を演じます。
2回戦の京都代表の東宇治高校戦では最後にマウンドを降りますが、8回1/3を投げて無失点(試合結果は9−1)。
続く、札幌商業(南北海道)、興南(沖縄代表)、瀬田工業(滋賀)と

すべて無失点

で勝ち上がります。
そして迎えた決勝の相手は神奈川代表の横浜高校。
相手のエースは後にロッテ、中日で活躍する愛甲猛。
結局試合は序盤の失点が響き、早実は6−4で惜敗し、準優勝となります。

荒木はこの大会でファン、特に女性ファンの圧倒的な支持を獲得し、甲子園のスターの座を不動のものとします。この辺も斎藤君に似ていますね。
その後も、甲子園には5期連続出場。
1年時の準優勝という結果には届かなかったものの、甲子園では常に上位進出を果たしました。

高校卒業後のドラフトでは巨人とヤクルトが競合。
見事ヤクルトが当たりくじを引き、荒木獲得に成功しました。
ちなみにくじに敗れた巨人は、外れ1位指名で斎藤雅樹を獲得。
その後の両投手の成績から、

どちらが真の当たりくじを引いたかは容易に想像がつくでしょう。

プロでの通算成績は39勝49敗2セーブと、特に目立ったものではありません。
入団4、5年目時点では10勝以上をマークするなど、結果を残していたのですが、高校時代から投げていたその身体には疲労が蓄積していたのでしょう。
ひじ痛で発症し、登録を抹消。米国にまだ赴き手術を受けました。
しかし、その後も度重なる怪我で出場機会がないまま丸4年以上が過ぎていきます。

そして、ついに荒木復帰の日がやってきました。
1992年9月24日、見事カムバックを果たします。

この荒木の復帰で勢いにのったヤクルトスワローズは14年ぶりに優勝を果たします。
今後、ヤクルトの黄金時代が来たことは皆さんの記憶に新しいと思います。
翌年の日本シリーズでも荒木は好投し、チームの日本一にも貢献します。
この頃がプロ野球選手として一番輝いた時代でした。

その後は登板機会が減り、横浜ベイスターズに移籍。
横浜でも結果を残せず、1996年にユニフォームを脱ぎました。

高校時代に比べるとプロ野球時代の成績はパッとしませんが、見事なカムバックなど、ファンの記憶に残った選手でした。
西武ライオンズのエース、松坂大輔選手の名前も荒木にちなんで付けられたと言われています。それほど人気があった選手でした。

現在は西武のコーチを務めています。
最近は斎藤君の活躍と、早稲田実業の優勝で荒木氏のマスコミへの登場が増えましたね。
現在は佑ちゃんブームですが、十数年後には甲子園で活躍する「佑樹」という名の投手が出てくるかもしれませんね。

八重樫幸雄−メガネ捕手初代は古田ではなく俺だ!威圧感抜群のオープンスタンス。

こんにちは。
甲子園、熱戦が続いていますね。今日は、週末ということで早起きしてライブ中継を見れたのですが、高知商業と鹿児島工業の試合はまさに高校野球!という試合でした。
両チームとも再三チャンスをつくるものの最後にはピッチャーがふんばります。
鹿児島工業の代打で出た今吉君も怪我をのりこえての執念がつたわってきました。
次の試合もぜひ頑張ってほしいです。
東北勢ひいきの私ですが、この試合は個人的にかなり熱い試合だったと思っています。
もちろん、注目の早稲田実業と大阪桐蔭の試合も見ました。
予想外の大差がついてしまいましたね。
エースの斎藤君の調子しだいでは早実もかなり上位をうかがえそうですね。
というか、すでに優勝候補か?!

強豪が次々と姿を消すなか、沖縄県代表の八重山商工が初戦、苦しい試合を勝ち抜きましたね。
この勝利は八重山商工の勢いをつけるのでは、と感じます。

はい、というわけで今日は八重樫幸雄さんです。
八重山→八重樫と強引ですが、そこはツッコミなしということで。。

高校時代から強打者として名をはせていた八重樫。
打撃練習中にはオーバーフェンスしてガラスが割れないように、学校側が窓に設置するほどでした。
仙台出身の八重樫は仙台商業を経て、ドラフト一位でヤクルトアトムス(現:東京ヤクルトスワローズ)に入団します。
同時期には横浜ベイスターズの監督も勤めた大矢明彦が入団しており、八重樫は大矢に正捕手の座を奪われてしまいます。
当時には、八重樫の視力が低下する影響もあり、しばらくは控え捕手という立場でした。

しかし、八重樫の打力を高く評価していた当時の三原脩監督は、なんとあの体型の八重樫に

無謀なショート転向を指示

します。
晩年の八重樫のイメージがある私としては、あの足の遅さでは、守備で最も俊敏な身のこなしが要求されるショートをやらせるのは無謀だと思うのですが。。
しかし、それほどまでに試合に出させたかったということは打力はかなりのものだったのでしょう。
結局、ショートへのコンバートは断念となります。
なかなか、レギュラーを取れない八重樫は焦りがあったのでしょうか、もしくは視力低下が響いたのでしょうか、打撃でも調子を落としてしまいます。

諦めない八重樫は、当時の中西太打撃コーチ(当時)と共にバッティングフォームの改革を断行します。
2人で研究をかさね、ついに伝説のオープンスタンスが完成したのです。
メガネをかけていた八重樫は、普通にバッターボックスに立つと、メガネの縁が邪魔をして視界がさえぎられるため、あのオープンスタンスとなったそうです。

いまでもSMAPの中居君がよくものまねをしているので、現代っ子にもおなじみですね。
現中日監督の落合博満氏は

オープンスタンスの基礎を築いたのは八重樫さん

と評価しています。
そういえば、少し前の甲子園で沖縄の那覇高校(だったと思う)の代打が八重樫そっくりのバッティングフォームをしていました。
あの時は甲子園がどよめいたのを覚えています。

念願の正捕手の座は、大矢が引退した後に確保。
1984年にはプロ入りして初めてオールスターに出場、1985年には3割の打率を残し、ベストナインに選出されます。
晩年の野村克也監督(現:楽天監督)時代には杉浦亨と共に代打の切り札として活躍しました。
1993年には現役を引退しますが、引退の席では中西氏と野村氏に対する感謝の気持ちを涙ながらに語りました。

なお、捕手としての実働23年は野村克也氏に次ぐ歴代2位の記録となっています。
ショートにコンバートしなくて本当によかったですね。

引退後はヤクルトの各コーチポジションを担い、現在は1軍打撃コーチを務めています。
仙台出身であり、師と仰ぐ野村氏が指揮をする楽天への異動は、、、

ないかぁ。。。

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