鹿取義隆−欽ちゃん球団コーチからWBC日本代表コーチへ【プロ野球★伝説のチーム−選手名鑑Blog】

今回は鹿取義隆さんです。
巨人、西武でリリーフとして長年活躍されていました。

高知商業、明治大学を経て、1978年のオフにドラフト外で巨人に入団します。
1978年といえばあの「江川事件」で、巨人がドラフトをボイコットした年です。
プロでは1年目から1軍入りし、着々と実績を築いていきます。

鹿取投手といえば、王監督時代の

「ピッチャー鹿取!」

が有名ですね。
子供時代に読んでいた漫画「かっとばせ、清原君」でも「ピッチャー鹿取!」がネタにされていた記憶があります。
この「ピッチャー鹿取」と、身を粉にして働かされる意味として使われた「カトられる」は流行語となりました。
逆に鹿取自身は毎日投げて調整するタイプのピッチャーであり、肩のスタミナはないが肩の回復力は驚異的だったため気にしなかったらしいです。
1軍で毎日投げられる幸せをかみしめていたのでしょう。

その後、一時期の不調はあったものの、西武移籍後は復活。
移籍1年目には最多セーブを記録し、最優秀救援投手賞を受賞し、その後も貴重な中継ぎ、抑え投手として西武の黄金期を支えました。

その容姿にも良い人オーラが出ている鹿取さんですが、シーズン後の契約更改では1発サインすることで有名でした。
ある年の契約更改では、1回目の交渉で「保留してみたかった」という理由で初めて保留し、2回目の交渉で

減額提示されながらもサイン

をしたというエピソードがあります。

さて鹿取さんは1997年のシーズンを終えて現役を引退。
巨人のヘッドコーチ、米国大リーグのロサンゼルスドジャースにコーチ留学、台湾の誠泰コブラというチームで臨時コーチを務め、2005年からは欽ちゃん球団「茨城ゴールデンゴールズ」のヘッドコーチとして活躍、その後は日本中が注目したWBC(ワールドベースボールクラシック)日本代表コーチに就任しました。

ドジャースへのコーチ留学時代には、無給で頑張っていました。
ここにもお金に頓着せずに夢を追いかける鹿取さんの性格があらわれていますね。
マイナーの選手には

「お前は野球やったことあるのか?」

と聞かれるなど(大投手鹿取になんて失礼な!)色々と苦労されたようですが、最後には実力を認められ、帰国の際には「また来てくれよ」と言われ涙のお別れでした。

余談ですが、存続が決まった欽ちゃん球団では息子の鹿取真央氏が活躍中です★
これからも頑張れ、鹿取親子!

お、そう言っているうちに鹿取さんの母校、高知商業が高知県大会決勝で強豪の明徳義塾高校を破り甲子園出場決定!
おめでとうございます。

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