香川伸行−南海ホークスのドカベン。今夏、甲子園では香川2世が大暴れする!

こんにちは。
週末は配偶者の誕生日のため、家族サービスに尽くしたヒカルです。
更新が遅れてゴメンナサイ★

今回はドカベンの愛称でファンに親しまれた香川伸行さんです。

香川さんは中学時代からすでにその活躍は大阪で知れ渡っていました。
高校は浪商高校(現:大体大浪商)に進みます。
ここでキャッチャーとして牛島和彦(現横浜ベイスターズ監督)とバッテリーを組みます。
その当時浪商は決して強豪とは言えない高校でした。
しかし、2年時の秋の近畿大会では怪我をした香川抜きでチームは近畿大会を制するなどチームも力をつけていきました。
バッテリーを中心としてチームは力を付け、3年時の春の選抜大会では準優勝を達成。
夏の大会には3試合連続ホームランを記録するなど、すでにその打撃を披露していました。
当時から、その強力な打撃と体型で甲子園の人気者でした。

ちなみにドカベンの愛称は、あの水島新司さんの漫画「ドカベン」の主人公である山田太郎と似ていたことから付けられました。
体型、捕手というポジション、そしてその強打とそっくりですね。

1979年にはドラフト2位で南海ホークスに入団。
体型が問題視されましたが、プロ初打席でホームランをはなち、不安を一掃します。
その後も活躍を続けるものの、香川選手の体重は増え続けていきます。
ついにはその体重の影響か、成績が下がっていきます。

南海も香川の体重を気にして様々な指令を出します。

1987年のオフには体重測定で体重が130kgを超え、減量のため2ヶ月の入院生活をおくります。
これは当時監督の杉浦監督が

選手生命以前に、人間として命にかかわる

と心配したためとされています。
また、1989年のシーズン前には、

太り過ぎ

の理由でハワイ行きが認められず、日本で居残り練習となったというエピソードもあります。

その体重が原因でしょうか、香川は1989年、球団名が南海から福岡ダイエーホークスに変更したのを機に、27歳の若さで現役を引退します。
その後も野球解説者を務めたり、野球学校を開設したりと精力的に野球の活性化に努めています。
2005年には社会人クラブ「福岡ブラッサムズ」を結成、地域野球の盛り上がりにも一役買っています。

結局は、その体型ゆえに引退を早めてしまった感はありますが、その体型だからこそ豪快な打球でファンを魅了し、愛されたのだと思います。
大日本肥満者連盟からも、肥満者のイメージアップに努めたと表彰を受けています。
引退時にもファンからはひときわ大きな歓声をおくられたことからも、その人気を見ることができます。

もう香川の勇士は見ることができないのでしょうか?

いやいや、今年の夏の甲子園で見ることができるかもしれませんよ。
香川さんの長男、香川英斗君が通う福岡工大城東高校が、福岡大会決勝で柳川高校を破り、夏の甲子園へのキップを手に入れました。
英斗君自身も代打の切り札として、福岡大会準決勝の筑陽学園戦でサヨナラ安打をはなちました。
体型も、打撃も香川さんにそっくりです(そこまで太ってはいませんが(汗))。

今夏の甲子園スタンドでは熱心に息子さんを応援する香川さんの姿が見れることでしょう。

そういえばドカベンといえば、新潟明訓高校は新潟大会決勝で惜しくも負けてしまいましたね。。
日本文理強し!

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